僕は、穏健派だよ。

へんてこりんな事を書くので、
どうも、「恐いおじさん」と、
思われている様だ。そんな事は無いです。
確かに、少し変ってはいるけれど、普通の優しいおじさんです。
コメントは大歓迎です。出来るだけ返信もします。
むちゃくちゃ忙しいので、絶対と言う訳にはいきませんが。
ことだまのやり取りは、楽しいものです。
アリストテレスさんも、そう言っていました。
2011年03月31日 Posted by ぱーぷーぼうや at 20:55 │Comments(1) │真理人生ああ青春
難しいのは、自分自身を信じる事です。

「生きる意志を杖にして歩く人々と、共に暮らしたい
と、いつも思っていました。
そして、
もう一つ。譲れぬ想いがあります。
ずいぶん尊大に聞こえてしまうかもしれませんが、
全ての人達が、幸せに暮らし、幸せに死んでいける、そうした世の中を
願う事です。
その願いの為に、自分の命を添わせる事です。
この言葉に、迷いはそして曇りは在りません。」
「全て言わなくも、理解出来る。
しばらくは、 おまえに 迎えはやらない。
充分に、働け。
仕事を終えるまでは、おまえに 迎えはやらない。
だが、身体には気を使え。自分でこちらに来る馬鹿もいる。」
「そうして頂けると、私は、たすかる。」
「そのまま、思うまま行け。淀みなく、ゆっくり、流れるように、
前に向け、歩め。 疑わぬ事だ。 」
「そうです、疑う事は、容易い。
一番難しいのは、自分自身を信じる事だと
私も感じます。
あなたと、話が出来て よかった。
そして、また、あなたを訪ねても よろしいか?」
「ああ、かまわぬ。おまえのドアは開けておこう。」
「ありがとう。」
「
2011年03月31日 Posted by ぱーぷーぼうや at 20:33 │Comments(1) │自然と人間と観念と唯物
私は、救われる 必要が 無いのです。

「ところで、、、。」
大いなる者は、足を組みかえながら
「おまえは何のために此処に来たのだ。」
「おそらく目的を持って、来たのでは無く、
自分の内なる瞑想を楽しんでいるうちに、迷い込んだのでしょう。
ですが、とても気持ちの良い処ですね。
明るく、すがすがしく、ゆるやかで、
疲労しきった時の様な、風邪による高熱でうなされて居る時の様な
ふわふわとした 高揚感があります。
とても好い処です。
ですが、私は最近、自分が暮らす地上において、
無限に湧いてくる、理由なき 高揚感を 失いつつあると感じます。
その為、此処に迷い込んだのではないでしょうか。」
「私に、助言あるいは、救いを求めに来たのか?」
「いいえ。違うと思います。
私は、救われる必要 が無いのです。」
「救われなくも、良いと・・・。」
「はい。
ですが、私は知りたい。」
「何をだ。」
「私が今在る、根本の理由、・・・上手く言えない。
・・・・上手く表現できない・・・・・・・。
私は、産まれた時から、多くの 生きる為の資質を
欠落させたまま産まれてしまったのだと思います。
小さい、幼い頃から感じて来ました。
良いか、悪いかという事柄では無いのですが、
見る・聞く・味わう・触る・・・・など、
回りの人達とどうも、・・・違うみたいです。
ある意味、才能と言えなくも無いですが、私自身は
生きる為の才能の欠如 と感じて来ました。」
「ずいぶんと、辛い思いもしたのであろう。」
「いえ、辛いと思った事はほとんど有りません。が、
多くの悲しみは在りました。
あなたの助言を待つまでも無く、
私は、人の歴史は無意味なものではないと思います。
確かに、人は、報われない事も在る事を承知の上で 、
多くの努力をして来ました。
名も残さず、歴史を積み上げようとして来たのです。
頭下がる 行為です。」
「ああ、そうで在るな。私でも心打たれる事だ。」
2011年03月31日 Posted by ぱーぷーぼうや at 20:04 │Comments(0) │自然と人間と観念と唯物
おろか者よ。

「つまり、大ヘーゲルの云う処の、アウフハーベンですか?」
「名を付けようとするな。
ヒトの悪い癖だ。
すでに失った、悟性で感じ取れ。
おろか者よ。」
「おお! そう言って下さるのか。
私は、 おろかな者だ。それを、誇りに今まで生きて来た。
そうだ。私のおろかさこそ、私が人で在ると名乗る、
私の最後の、・・・僅かに残った尊厳だ。」
「はっはっは。(手を打って笑う)フムフム、。面白い男だ。
賢さと愚かさとが、同じものだという事だけは理解したようだな。」
「そうですね。賢さと愚かさとが、同義語なのと同じく
誠実と不誠実とが、同一物なのは理解できます。」
少し、間をおいて、
「あなたは先ほど、0と無限は同じものであり、全ては繋がっているとおっしゃった。
では、私とあなたとも繋がっているのか?」
「あたりまえだ。」
「ならば、さらに伺おう。
あなたが私を統括するように、
私もあなたを統括できるのか?」
「あたりまえだろう。
私もおまえも全ての中の、一部分でしかない。
関連を無視した分割は、無意味だ。
終わりが無いのは、 始まりが無いからだ。
2011年03月25日 Posted by ぱーぷーぼうや at 21:04 │Comments(0) │自然と人間と観念と唯物
全ての矛盾は、・・・・。

「上。下。そうか。そう云う言い方も在るのだな。
確かに、自然の意志は下降を内に含んだ上る螺旋だ。
だが、全ては繋がっている。
大きな一つの輪だ。
0と無限(∞)は同じものだ。
在ると無いとが、光と影が、生と死が、全く同じものである事と似ている。」
「生と死が・・・同じもの・・・。」
「あたりまえだろう。分らぬか。
自分自身の身で考えろ。
心と身体(からだ)、分けられるのか、おまえは。
一つのものの内部における自己矛盾を表現しているにすぎない。
確かに、その分離はものの理解の役には立つだろう。
しかし、対立物が一つのものの内なる闘争である事を理解しないならば、
世界は、ただただ謎の中だ。
おまえは変な男だ。しかし、おまえならば理解するだろう。
全ての矛盾は、
内に向かい、したがって外に向かい、全ての関連の中で
闘争しあい、いたわりあい、
更なる高みで、己(おのれ)自身を、再構築するのだ。」
2011年03月25日 Posted by ぱーぷーぼうや at 20:33 │Comments(0) │自然と人間と観念と唯物
おまえは、耳を持たぬ者か。

「・・・・大いなる者 ですか。」
「そうだ。」
少しの沈黙ののち、私は 問うた。
「では、あなたは、私が暮らす地上において
多くの人が言う『神』と呼ばれる者なのですか。」
「おまえは耳を持たぬ者か。それとも、頭を持たぬ者か。
私は、大いなる者だと告げたはずだ。
ついでに伝えておこう。
彼ら(神の名で呼ばれる者たち)は、全て 私の 下部(しもべ)だ。」
「神が下部・・・。では、
あなたは神々の上に立ち全てを統括し、世界を産み出した者なのか?。」
「上?下?世界を産み出す?
解らない事を言うな、おまえは。」
「ですが、多くの神は(全てでは無いが)、
世界を創造したのは 自分だと言っている。」
「ははは。面白い事を言うな、おまえは。
世界の創造?
私にも出来ぬ事を、私の下部の神たちに 出来る筈も無いだろう。
世界は、創造されたものではない。
在るとも言えるし、無いとも言える。
世界とは、道に転がる石ころの様なものだ。
2011年03月25日 Posted by ぱーぷーぼうや at 18:28 │Comments(0) │自然と人間と観念と唯物
私か。 私は 大いなる者 だ。

私は光り輝く、雲の中の様な所に立っていた。
とんでもないところと言う印象は無く、
時間さえ気にしなければ自分の足で歩いてこれる場所、
つまり、私が暮らす地上と繋がっている所と感じた。
目の前のドアを開けると
太く大きくはあるが、静寂を伴った声が
「何者だ」と私に向けられた。
声の方を観ると
20メートルは在ろうかと思う男が
深くイスに腰掛け、足を組んでいた。
優しい目だ、と感じた。
「何者だ」
再び、彼は言った。
「私はヒトです。」
「ヒトか。ヒトは此処には入れない筈だが、そうか、ヒトか。」
「はい。たぶんそうでしょう。」
「自らヒトを名乗って此処を訪れた者は、確かに過去にもいた。
10万年程前、起ちあがったサルが、
『ヒトが産まれた事を告げに参りました』と訪れた。
2000年ほど前、アリストテレスと言う名の男が、
『道に迷ってしまった。自分の家に帰る道を教えてはくれまいかね。』と
私に尋ねた。
おまえがたぶん3人目だ。」
しばらくの沈黙のあと、私は尋ねた。
「あなたは、 何者なのですか。」
「私か、私は大いなる者だ。」